(たかはしたけお)
1941(昭和16年)4月15日、東京浅草の寿司屋の三男として生まれる。父が戦地に招聘された後、家族は茨城県の母の実家近くに疎開し、戦後その 疎開先(鹿島郡鉾田町)にてキリスト教にふれる。当時小学校4年生。中学2年の時、バプテスマ(洗礼)を受け、正式にクリスチャンとなる。高校卒業後、牧師養成の専門学校(東京聖書学院)に学ぶ。同校卒業後、上野、伊東、盛岡、喜界、岡山等の教会を歴任、1990年3月に川越のぞみ教会に赴任、現在に至る。
●役・職務:日本ホーリネス教団正教師、同教団選挙管理委員長、川越のぞみ教会牧師(代表役員)、キングス・ガーデン(社会福祉法人)協力牧師世話人、川越少年刑務所教誨師
●趣味:パソコン、釣り、音楽鑑賞、日曜否「月曜大工」
■わたしの信仰のルーツ
小学四年生の時、尻上がりで語尾に「ぺ」を使う自分たちの茨城弁とは少々違う変な方言をしゃべる一家が近所に引っ越してきた。今にして思えばどっちが変だったのか言うのも憚りますが、ともかく、何となくよく分からない不思議な家族だった。
ある日曜日のこと、その家の子供が「うちのお父さんがおもしろい話をしてくれるからうちに来ないか」と誘ってきた。「おまえんちは何屋だ」と聞くと、「キリスト教会」だと言う。初めて聞く言葉で要領を得ず、更に尋ねると「日曜学校」だとも言う。学校の休みの日が日曜日なのに、なんで日曜日の学校なのかと不審に思っていると、「来れば分かる」と言うので思い切って行ってみた。果 たせるかな、この日がわたしの人生の一大転機となった。
日曜学校の話はおもしろかった。少なくとも勉強をする学校でないことにホッとした。それに普段あまり考えたことがなかった「神さま」について教える所だということも漠然と分かった。もともと日本人の神観念もなかったわたしは、素直に聖書が説く神さまのこと、教会に関する理解を深めていった。
教会生活はほとんど休まず、中学生から大人の礼拝に出るようになった。と言っても心に葛藤が無かったわけではない。小学生の時は素直に信じていた神の存在を「本当だろうか」と迷いだした事と、もう一つは伝道奉仕へのためらいであった。隣町の吉川から人見さんという信者が時々来ては、鉾田の町で路傍伝道をした。それに提灯やトラクトを持って参加することを勧められた。今となっては事改めて「神さまが本当にいるんですか」と聞いたり、「路傍伝道は恥ずかしくて参加したくない」などと、どうしても言えなかった。それまで熱心だった教会生活が今更ながら悔やまれた。
中学二年の時、ある礼拝の席で「洗礼式」なるものがあると知らされた。婦人の誰かが後ろから「武ちゃんも、もう受けなさい」と言って背中をポンと押した。そのはずみで洗礼を受けてしまい、とうとう抜き差しならぬ 状態になった。
しかし、神さまはそんなわたしに罪を示された。そして十字架の意味と必要も悟らせ、本当の信仰に目覚めさせてくださった。はずみで受けたあの洗礼も有効にされた。
以来、わたしの世界は一変した。献身への道は辿るべくして辿った必然の道、確かな導きを感じた。恩師の奥さまが炊飯の折々、かまどに薪をくべながら、わたしの献身のためにずっと祈っていたとあとから聞いた。 恩師の書斎から借りて読んだ熊野義孝著の「基督教概論」はわたしに神学する喜びを教えてくれた。そして、何よりも恩師のとぼけたような性格の中に信仰に拠る鋭い批判力をわたしは学んだ。 未だに母教会孝行が何もできていない事が唯一の心残りで、恥ずかしい。