「隣人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
( 新約聖書・マタイによる福音書5章43、44節)
ある方が「あなたの敵を愛せよ」と教えたキリストの命令は矛盾しているのではないかと指摘されました。なぜなら、愛せた相手は既に敵ではないと言うのです。
なるほど、理屈を言えばその通りかも知れません。しかし、敵を愛すべき友と変えてしまうところに、この奨励の本来の意図があります。ともかく、この不思議なキリストの教えをもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
また、あの奨励は人間の本能に逆らう課題であって、実際的でない理想主義者のきれい事だと決めつけてしまう方々もいるようです。なにしろ、日本人の心にあの忠臣蔵のドラマが美談としてしっかりと刷り込まれている限り、このキリストの教えはなかなか好意的に理解して貰えないようです。
ところが、同じ聖書でも旧約聖書には「目には目を、歯には歯を」という復讐を肯定するような言葉があります。キリストの教えとどう調和させて読めばよいのでしょうか。
この旧約聖書の言葉の元々の意味は、他人に何か損害を与えた時はその等価値のものを以て補償すべきであるという意味でした。それがいつの間にか復讐の言葉として解釈されるようになり、キリストもこの言葉を否定的に引用して、ご自分の新しい愛の倫理を説かれたのです。「あなたの敵を愛しなさい」の奨励はまさにその一連の説教の中で語られたお言葉でした。
何をされてもじっと我慢して堪えなさい、ではなく積極的な愛の報復を勧められたのです。これが果 たして弱者の倫理でしょうか。いいえ、弱い人は逆にすぐ切れて仕返しをします。そして、その復讐の論理には終わりがないでしょう。